Opus.92

LPレコードの感想など。

リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団 ベートーベン交響曲第8番ヘ長調作品93

相変わらず録音がイマイチではあるが、ムーティ的な音楽が満載となっており、この曲の明るさと、複雑さとの相性が面白い。かなり野心的な演奏でもあり、音の密度がかなり濃く出ている。特に低弦部分を充分に鳴らせておりフィラデルフィア管ならではである。緊張感を充分に維持しながらも、軽快なリズムを前面に押し出しながら全体を構成しており、聞き所は満載となっている。

リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団 ベートーベン交響曲第7番イ長調作品92

ムーティの冷静に隅々まで計算しつくされた音楽への意識は、冒頭から強く感じられる。フィラデルフィア管もそれに時間的余裕を充分に持ちながら対応しているところに当時のレベルの高さを伺うことができる。

圧巻の第1楽章に続き、第2楽章の弦楽演奏の微妙な音の揺れ具合などは美しく劇的でもある。ただ、特に第3楽章では全体的にはリズムが軽く流れすぎるように私には感じられ、それが全体の構成上釣り合いが上手く取れていないように感じられ、集中力を持って聴くことができなかった。

一転、第4楽章ではオーケストラの活力が復活しており、録音日が異なるのでは?と思われる。音の採り方や味付け方も異なるようにも聴き取れる。 

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リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団 ベートーベン交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

フィラデルフィア管の重低音の快い響きと充実した音楽の流れが感じられる。1987年の録音ながら新鮮な雰囲気を感じさせるところがムーティらしい。特に柔らかい響きをポンと置くようなタッチは独特である。なかなかこの曲を面白く味わせてくれる録音に出会うことが無いだけに嬉しい。明らかにドイツ系指揮者とのアプローチとは異なり、背景となる画面の穏やかな明るさが印象的である。この曲に関してはEMIの録音状態も良いようだ。

第1楽章に続いて豊かな響きを蓄える第2楽章と美しい演奏は続くところは絶妙である。第3,4楽章ではそういった良さを感じることが少ないが、第5楽章になると再び弦楽器群の美しいハーモニーを満喫することができる。緩徐楽章に強い個性を発揮している、あるいは聴き手がそれを理解しやすいことが判る。

あと、第2楽章終わりのフルートとオーボエの掛け合いや、微妙なフルートのトリルの変化は、妙の極みと言える。

リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団 ベートーベン交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

ムーティの抜群のリズム感と芳醇で暖かい弦楽器群の響きがこの演奏の水準の高さを感じさせるが、何分録音の質が悪いため聴き手がイマイチ入り込む感じにはならないのが残念。その分、弦楽器のアンサンブルの妙に冷静に耳を集中させることができる。ムーティの指示は非常に細かく、一つ一つの音の響きの強弱や色彩の変化を微妙につけながら丁寧にかつ精巧に作り上げている。フィラデルフィア管ならではの演奏とも言える。

ただ、繰り返しになるが録音の質が悪く、この録音(1987年)の2年後、1989年5月のサントリーホールでのライブ演奏の方が面白く聴けるのは確か。

ムーティ、英雄といえば、私は2010年にロンドンのロイヤルフェスティバルホールでフィルハーモニア管弦楽団を久々に振ったコンサートを思い出す。何かまとまりに欠け、久々にフィルハーモニー管の指揮台に登場したというイベントとしての意味以外には、それほど印象に残る演奏では無かった。英雄の演奏の前に、ムーティ自らマイクを取ってその頃に死去した楽団員、ジェラルド・ドラッカー(コントラバス主席 享年85歳)への弔辞を述べるなど、以前の良好な関係を意識した演出ではあったが、実質的には既にムーティのフィルハーモニア管弦楽団という色合いは全く無く、以前の同楽団とは全く異なるものであったのに違いない。今や大指揮者となったムーティへのフィルハーモニア管のラブコールは判るが、ムーティの復帰は無いな、と感じさせた。どちらかというと2017年からサイモン・ラトルが音楽監督となるロンドン交響楽団を客演で指揮する方が魅力的で興味が湧くと感じる。

Philharmonia Orchestra 65th Birthday Gala Concert | Southbank Centre

https://www.ft.com/content/d0b02c24-3e73-11df-a706-00144feabdc0

Beethoven: Joshua Bell (violin) Philharmonia Orchestra, Ricardo Muti (conductor) Royal Festival Hall, London 30.3.2010 (GD)

 そういえば、ムーティはフィラデルフィア管の後、もう30年近くもベートーベン交響曲全曲の再録音を行っていないことになる。是非ウィーンフィルと(少しはまともな録音、できればアナログ録音で)やってほしいものだ。

リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団 ベートーベン交響曲第4番変ロ長調作品40

非常に切れ味があり、曲の波を追い立てるようなムーティの指揮に抜群の運動神経で応じるフィラデルフィア管の名演と言える。ベートーベンの4番はどちらかというと遅いテンポでじっくりと練り上げた演奏の方が名演として残る傾向が多いが、その対局にありながら、素晴らしい仕上がりとなっている。やはり、イマイチ音を拾いきれていないデジタル録音の質に残念感はあるが、特に2楽章の弦楽器の音の重ね方などムーティの絶妙なコントロールには関心させられる。確かに、アプローチとしてはドイツ系指揮者とは明らかに異なり、音色の繊細でわずかに異なる色彩を使いながら、音と音の間を独特でかつ奔放な時間感覚で表現をすることでこの曲の違った魅力、それはムーティからしか得られないであろう、を教えてくれる。それでいて、時々野暮ったい表現が突然現れて「は?」と思わせるところもムーティらしい。

リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団 ベートーベン交響曲第2番ニ長調作品36

ムーティとフィラデルフィア管によるベートーベンの全集。すべてデジタル録音で、ボックス番号がEX 157 7 49487 1。ドイツプレス。EMI。
1枚目:5番、1番(1985年録音)
2枚目:2番(1987年録音)、4番(1985年録音)
3枚目:3番(1987年録音)
4枚目:6番(1987年録音)
5枚目:7番(1988年録音)、8番(1987年録音)
6枚目:9番(1988年録音)
という収録。ベートーベン全集が5番で始まるのは珍しい。

やはり、私には1981年来日公演でのNHKホールでの演奏(悲愴、展覧会の絵)の印象が強いため、1980年後半のデジタル録音ながらLPで全集としてリリースされていたというのは嬉しい限り。ただ、デジタル録音も技術向上の途上であり、1985年録音と1987年録音では技術の差が大きく、当然、録音エンジニアの音の捉え方が全然違っている。勿論、もしアナログ録音ならば、と思うのは確かではあるが。

華やかで色彩感が豊かで、リズムも溌剌としておりフィラデルフィア時代のムーティの内面的な充実ぶりを感じさせる。何よりも表現が積極的で挑戦的でもあり、今聴いても全く新鮮である。弦楽器の響きも美しく、木管の音色も柔らかく柔軟であり、フィラデルフィアサウンドと称される味わいが充分。

エーリッヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団 ベートーベン交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

第1番、第2番と続けて聴くと判るが、またまた録音条件が違うようだ。ボストンシンフォニーホールの有名な残響感が特に強く感じることは無い。ただ、曲が進むと、不思議とそれが何かモノラル録音の様な朴訥とした簡素な音の圧力となって迫ってくる。その荒々しいまでの迫力がこの曲の激しい一面を見事に表現している。特に、第2番の4楽章、第3番の1楽章、2楽章の途中まで、を3枚目のA面に詰め込むというなんともいえないカッティング構成も、ちょっとなんとかならなかったのか?と思う。ところが、B面(2楽章の途中から4楽章まで)になるとまた音の印象が異なり、シャープさが加わり音の幅が広がり、バランスが良くなる。RCAの録音と対峙するのは大変な作業だ。

それでも、相変わらずボストン交響楽団のレベルの高さは十二分に聴くことができる。強調されすぎとは言え、低弦の充実した響きと強いバネをもった弦楽器全体のリズム感は臨場感を持って迫ってくる。ラインスドルフの曲への切り込み方も鋭敏で、色々な聴かせ方を繰り出しながら波打つ音楽を構築していく様は、熱狂的でもある。第2楽章の途中でB面に裏返す作業により中断されながらも(悲)、その熱狂は冷めることは無い。