Opus.92

LPレコードの感想など。

グラモフォン誌 2004年8月号から

ティーレマン ベルリン・ドイツ・オペラを辞任

2007年まで(1997年から)の契約であったが、ティーレマンが要求していた財政支援を断られたため、抗議の辞任となった。(記事終わり)

スコティッシュ・オペラ 大量解雇

財政難に喘ぐスコティッシュ・オペラは208人居たスタッフの4割カットを行うことに同意した。約120名(オーケストラメンバー53名を含む)まで減らされた。なお、解雇されたスタッフの多くは、技術、総務、コーラスの人間であった。労働組合は断固非難しており、「スコットランドにおけるオペラの水準を維持する上で死に値する」とした。(記事終わり)

ジャクリーヌ・デュ・プレのエルガー協奏曲録音から40年

デュ・プレがバルビローリとエルガー協奏曲を録音したのが1965年8月19日木曜日。それから40年が経過する。記事では、この録音に纏わるエピソードを紹介している。興味深いのは、EMIは当初、エイドリアン・ボールトを指揮者として検討したようだ。ただ、イギリス国外での販売に見込みが立たず断念。その後、ローレンス・コリングウッドを検討、これも商業的理由で断念。その後、1964年にアビーロードスタジオでテスト録音中のバルビローリと折衝して快諾をもらった、と記事では紹介されている。また、バルビローリとデュ・プレ、エルガー協奏曲の深い縁についても記述している。まず、バルビローリはロンドン交響楽団でエルガー指揮の初演に参加しており、自身がチェロ独奏者として3回目の演奏を1921年に行っている。また、デュ・プレが11歳の時に参加したスジア・ギフト賞の審査員がバルビローリであったことから、彼女のキャリアに深く影響したとされる。

バレンボイムの回想も短く紹介されており、「彼女は非常に自由であり、。。。彼女が今何をしようとしているのか、何故それをしようとしているのか?」と問うてはいけない、と述べている。なお、グラモフォン誌の取材ということで、彼女が英国的か?という問いに、「彼女が、常に自己抑制が効いている英国人的では無いと言われるが、それは必ずしも正しく無い。なぜなら、気ままな英国人だって沢山居るでしょ。」とリップサービスも加えている。

ジャクリーヌ デュ プレの生涯・